南直哉 著書 著作 老師と少年 茂木健一郎
単共著 | 寄稿等
南直哉師は同じような本を何冊も出すことをしません。実際、1作目は僧堂生活のエッセイ、2作目は師の仏教論を地の文で、3作目は問答形式、以降、坐禅の入門本、小説、対談、時事エッセイ… それぞれ趣きが異なっています。従って、必ずしも最新刊を読めばよいということではなく、ご自身が読みやすく、必要としているスタイルのものを選ばれることをお勧めします。
『出家の覚悟』
南直哉、アルボムッレスマナサーラ(サンガ、2009年5月)
『人は死ぬから生きられる』
茂木健一郎、南直哉(新潮社、2009年4月)
コメント準備中。以下、「BOOK」データベースより。
我々はどこから来たのか、そしてどこへ行くのか―。人類誕生以来、問われ続けてきたアポリア(難問題)に、脳科学者と禅僧が挑む。死はすべての者に平等に訪れる。けれど誰もが望んでこの世に生れてくることはできない。つまり、「私」に根拠はないのだ。だからこその苦、だからこその人生。それでも、その苦しみを引き受け、より良く生きるための方法はある。無常の闇に射す一筋の光明を探すため、存在を賭けた脳と仏教の真剣勝負。
『なぜこんなに生きにくいのか』
南直哉(講談社インターナショナル、2008年11月)
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世の中の「常識」や「思いこみ」は、ひょっとしたらすべて違うのではないか?生きる意味を見失ったあなたに送る究極のメッセージ。常識を反転させると、人生がガラリと変わって見えてくる。
『『正法眼蔵』を読む』
南直哉(講談社、2008年7月)
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われわれはどのように存在しているのか―人間存在根本の問いに『眼蔵』はいかに答えるか。ヨーロッパ現代思想も凌駕する画期的思想書に気鋭の禅僧が己の実在を賭けて挑む、現代人のための入門書にして決定版。
『“問い”の問答』
南直哉、玄侑宗久(佼成出版社、2008年1月)
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「問う」という行為を通して見えてくる仏教とは何か―同時代を共有する二人が大胆に提示するスリリングな対談。
『老師と少年』
南直哉(新潮社、2006年10月)
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本当の自分とは誰か?自ら命を絶つことは許されるのか?注目の禅僧が放つ、九夜の問答。「生きる」苦しみの根源に迫る。
『やさしい「禅」入門』
立松和平、南直哉ほか(新潮社、2004年11月)
立松和平氏との共著。「坐禅の章」「修行生活の章」「精進料理の章」「道元思想の章」の4章から成る、いわゆる「ムック」形態の本です。上質な紙にカラー写真をふんだんに使っています。南師も写真付きで坐禅指導をしています。
坐禅、修行、精進料理、思想と幅広くカバーした本で、個々の内容は深いとは言えませんが、漠然と、禅、坐禅、道元といったものに関心を寄せた人が最初に手に取ってみる本としては良いでしょう。
『「問い」から始まる仏教』
南直哉(佼成出版社、2004年1月)
前書と同じく師の仏教論をまとめた書であるが、大きく異なるのは、ある仏教初学者と師が対談、問答をするという文体を終始とっていること。
師の仏教を学ぶには、この書が最良である。
『日常生活のなかの禅』
南直哉(講談社、2001年4月)
体系的に師の仏教論まとめた書。「自分」の根拠の否定に始まり、煩悩(自我と他への執着)のメカニズムを説き、縁起、因果、戒律、坐禅、作法と、一気通貫で解説している。無常を観じ無我を知ると、何故に坐禅をし、戒律・作法を保つに至るのかを有機的に学ぶことができる。それらを踏まえ終章では、在家人が取り得る修行の在り方についても言及している。
仏教の専門タームも頻出のため、基礎知識が無いと難解かもしれない。その場合、『「問い」から始まる仏教』のほうが良い。
『語る禅僧』
南直哉(朝日新聞社、1998年1月)
一般に流通するものとしては師の処女作。一話完結型の稿のまとめで、師の出家の由来に始まり、永平寺での日常の出来事から、師が率直且つリアルに語る。エッセイの節々に師の仏教観も垣間見ることができる。
師の人となりを感じるにはこの本だが、残念ながら現在は絶版となっており、Amazonでは高値で売買されている。図書館などを丹念に当たってみて頂きたい。

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